【自分の中に毒を持て】己が最大の味方であり、また敵なのである。




こんにちは!!keeです。今さらなんですが『芸術は爆発だ』で有名な芸術家の岡本太郎さんの著書『自分の中に毒を持て』を読了しましたので私の心に刺さった言葉を中心に私なりに爆発させていこうと思います。超ネタバレです。読みたい人は先にこっち!!

『自分の中に毒を持て』というのは要するに『己(自分自身)と闘え!』ということが言いたいのだと思います。

『死』に直面することほど『生』を実感できることはないように、安全な道を通って生きていくことは、本当に生きていると言えるのか?

こんな感じのことが熱く熱く語られています。

単に背中を押してくれる本というのでは全然足りず、後頭部をハンマーで激しくぶっ叩かれたにもかかわらず、痛みというよりはなぜか爽快感と心が燃えるような、奮い立つようなそんな『力』をくれる本です。就職を目の前にしている若者や、何かに迷っている人におすすめの本です。

あなたは安全が保障された道ではなく、もう一つの道を選んでしまうことでしょう。

『けしからん罪』

無難な道をとり、みんなと同じような動作をすること、つまり世間知に従って、この世の中に抵抗なく生きながらえていくことが、あたかも美徳であるように思われる。信念をもって、人とは違った言動をし、あえて筋を通すというような生き方は、その人にとって単に危険というよりも、まるで悪徳であり、また他に対しても不作法なものをつきつけるとみなされる。

『成功』

夢に賭けても成功しないかもしれない。そして、そのとき、ああ、あのとき両親の言うことを聞いておけばよかったと悔やむこともあるかもしれない。でも失敗したっていいじゃないか。不成功を恐れてはいけない。

人間にとって成功とはいったい何だろう。結局のところ、自分の夢に向かって自分がどれだけ挑んだか、努力したかどうか、ではないだろうか。

夢がたとえ成就しなかったとしても、精いっぱい挑戦した、それで爽やかだ。

『己が最大の味方であり、また敵なのである』

結果がまずくいこうがかまわない。むしろ、まずくいった方が面白いんだと考えて、自分の運命を賭けていけば、いのちがパッとひらくじゃないか。

何かを貫こうとしたら、体当たりする気持ちでぶつからなければ駄目だ。

体当たりする前から、きっとうまくいかないんじゃないかなんて、自分で自分を諦めてしまう。愚かなことだ。本当に生きているというのは、自分で自分を崖から突き落とし、自分自身と闘って、運命をきりひらいていくことなんだ。

それなのに、ぶつかる前から決めこんでしまうのは、もうその段階で、自分の存在を失っている証拠じゃないか。

人生を真に貫こうとすれば、必ず、条件に挑まなければならない。いのちを賭けて運命と対決するのだ。そのとき、切実にぶつかるのは己自身だ。己が最大の味方であり、そして敵なのである。

『大人』

いったい人生とは何だろう、自分とは何なのか、というようなことを考えはじめる。人の目、自分の状況が気になりだす。人生は辛い、きびしいものじゃないか。しかも自分自身が自覚する以前に、すでにまわりが自分を批判し、決めつけてくる。頭がいい、悪い、運動能力がある、ない、顔がきれいだ、醜い、等々。あらゆることで。

圧倒的な、巨大な社会の影だ。幼いときのみずみずしい自由感は次第に窒息させられて、世間一般の考えるとおりに考え、みんなのしゃべるようなしゃべり方をし、そういうことにも気づかないほど、常識どおりの枠の中におさまってしまうのだ。

『自信』

自信なんていうのは相対的価値観だ。誰々よりも自分は上だ、とかいうものでしかない。

弱いと自分自身思っている人ほど強くなりたいと意識する。それは別に、悪いことじゃないけれど、弱さを何とかごまかそうとしたり、強くみせかけようなどとすると、ますます弱みになってしまう。

他に比べて弱くても、自分は充実して生きている、これで精一杯だと思えば、悔やむこともなげくこともない。人生はひらく。

『プライド』

ぼくは、プライドというのは絶対感だと思う。

自分がバカであろうと、非力であろうと、それがオレだ、そういう自分全体に責任をもって、堂々と押し出す。それがプライドだ。ところが自尊心だとかプライドだとか言いながら、まるで正反対のことを考えている人が多い。

大切なのは、他に対してプライドを持つことでなく、自分自身に対してプライドを持つことなんだ。

ほかに対して、プライドを見せるというのは、他人に基準を置いて自分を考えていることだ。そんなものは本物のプライドじゃない。たとえ、他人にバカにされようが、けなされようが、笑われようが、自分がほんとうに生きている手ごたえを持つことが、プライドなんだ。

誰も知らない 涙の跡 抱きしめそこねた 恋や夢や 思い上がりと 笑われても 譲れないものがある プライド

『生きる』

それは本来、無目的で、非合理だ。科学主義者には反論されるだろうが、生命力というものは盲目的な爆発であり、人間存在のほとんどと言ってよい巨大な部分は非合理である。われわれはこの世になぜ生まれてきて、生きつづけるのか、それ自体を知らない。存在全体、肉体も精神も強烈な混沌である。そしてわれわれの世界、環境もまた無限の迷路だ。

交通は便利になり、生活は保障されている。しかし物質的な繁栄とか「幸福」などどいうもので人間がみたされるはずはないのだ。

人間が生まれてきて、一番痛切につかみとらなければならない”生命感”というものが、そのために逆に遠ざかり、見失われてしまう。

人間本来の生き方は無目的、無条件であるべきだ。それが誇りだ。

死ぬもよし、生きるもよし。ただし、その瞬間にベストをつくすことだ。現在に、強烈にひらくべきだ。未練がましくある必要などないのだ。

一人ひとり、になう運命が栄光に輝くことも、また惨めであることも、ともに巨大なドラマとして終わるのだ。人類全体の運命もそれと同じようにいつかは消える。

あなたは”常識人間”を捨てられますか?

私は…。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

では、また!!




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kee
フルマラソン3:27:43!! ファイナンシャルプランナー&JADPメンタル心理カウンセラー&上級心理カウンセラー! 普段は食品工場で仕事をしています。ランニング大好き、料理大好き、サッカー大好き、キャンプ大好き、お酒大好き、釣り大好き、激辛大好き、読書大好き、書ききれないほどの大好きに囲まれて毎日幸せを実感しています。夢はホノルルマラソンに出ること。 座右の銘『明日死ぬかのように生きよ、永遠に生きるかのように学べ』 このブログは忘れやすい私の備忘録、私の脳の第2領域です。