こんにちは!keeです。今回紹介するのは、エンゼルスからドジャースに10年総額7億ドル(約1015億円)で移籍した日本の宝!大谷翔平選手の愛読書、中村天風著の『運命を拓く』です。
大谷選手と言えば、よく寝ることで有名で1日の基本睡眠時間は10時間。最低でも8時間。いつ寝るかの準備を数日前から計画的に行うと公言するように彼の活躍を支えている要因のひとつに良質な睡眠があると言えます。
※睡眠のためにヌートバー選手の誘いを断ったのは有名な話ですね。
その他にも、食事や入浴など、拘りや習慣は取り上げればきりがないのですが、そんな大谷選手が読んでいる中村天風の本、気になりませんか?
※ちなみに中村天風は日本に初めてヨガを広めた人物でもあります。
『人生は心一つの置きどころ』
心理瞑想行について
真理瞑想行とは、人生に対する自覚と反省をうながし、現在ある命をよりよく有意義に活かすのに必要な基礎的考えを、正確につくりあげることを目的としている。
心身統一法の根本原則の中で、最も重要なことは、心を絶対的に積極化し、精神態度を本来ありうるべき姿に即応させることである。
心を絶対的に積極化するには、その基礎的考えを正しくつくりあげることが必要である。
そのために、人間の持っている暗示感受習性というものを応用し、独特の教え方で正しい悟りを開かせようとするのである。
すなわち、万物の霊長たる人間の真の本領を発揮し、本当に生き甲斐のある人生を活きるのに必要な悟りを開かせるのがこの真理瞑想行の目的である。
中村天風
序章 朝旦偈辞(ちょうたんげじ)
たった一つの、宇宙の本体が産み出したものが、森羅万象である。
したがって森羅万象を包含している宇宙も哲学的に究極していくと、現象界に存在する一切の物質もこの宇宙本体から産み出されたものなのである。と同時に科学的に考えてみると一切の森羅万象と称するものは、宇宙本体のエネルギーの分派によって創られている。形が、つまり目の前にあるというのは、宇宙本体の力が、まだ籠っているからである。その力が抜けてしまえば、形を現象界から消して、根元要素に還元しなければならない。
人間の死というものも、そういうことなのである。
特に忘れてならないことは、人間は、万物の中で、この宇宙本体の分派分量を最も多く頂戴しているということである。人間以外の生物が真似することの出来ないほど、まことに多くの分量をいただいている。
このことが、人間が霊長といわれる所以なのである。
”心”というものが、どんな現象事実を行なうかというと、心の活動は思うことと考えること以外にはなく、この思ったり考えたりすることは、意識的に思ったり考えたりすることと、無意識に思ったり考えたりすることの2種類がある。
今、いった原理を考えてみると、人間は、日頃、人生を活きる刹那刹那、いかに心を運用することが適当なのだろうか、ということである。
いい換えるならば、心の運用を良くしたり、悪くしたりすることによって、人間の人生は、良くもなり、悪くもなるのだ、ということだ。
つまり、人間の日々の人生に活きる刹那刹那、ちょっと笑うこと、冗談を言うこと、その刹那にも、その心の思い方、考え方が、やがて、我々を完全になしあたうか、なしあたわざるかという事実が、産み出されるのである。
『人間の心で行なう思考は、人生の一切を創る』
人間というものは、人間自身の心の中の思わせ方、考えさせ方が、自分の生命の全体を、強くも弱くもするのだということを、厳格に悟ろう。
怠らず注意深く、自分の心の中の思い方や考え方を積極的にすることに努力しよう。
生命の力
およそ人間として完全な活き方をするには、本当に心を積極的にしなければいけない。
その何よりも大切である積極的な心を作るためには、まず第一に何が必要であるか悟ることにしよう。
『人間の生命に与えられた活きる力というものは、肉体に在るのではなく、霊魂という気の中にある』これが最も正当な自己認証である。
ところが、この自己認証が確立していないために、くしゃみ一つしても、せき一つしても神経を過敏にしてしまう。心が肉体に消極的に注がれると、肉体の生きる力の受け入れ態勢が妨げられ、本来の強さを発揮することができない。
したがって可能なかぎり、消極的な気持ちで肉体を考えないようにすることが何よりも大切である。特に病のときは病を忘れる努力をすべきである。
『人間の健康も、運命も、心一つの置きどころ』
心が積極的方向に動くのと、消極的方向に動くのとでは、天地の相違がある。ヨガ哲学ではこれを『心の思考が人生を創る』という言葉で表現している。
人生を支配する法則
およそ人生には、人生を厳格に支配している一つの法則がある。
それは原因結果の法則である。そして人生というものは、その人が自覚するかしないかを問わず、この法則を応用する度合に比例する。すなわち
『蒔いた種のとおりの花が咲く』という法則なのである。
朝から晩まで、欲と感情と感覚に追い回されて、せかせかあたふたと落ち着かない生活ばかり送っている人間に、良い運命はや健康が得られるはずがない。
体が丈夫にならない、良い運命に恵まれないという人は、生まれつき体が弱いとか、人が自分を認めないからとか、何か罪が他にあるかのように考えて、いっこうに自分を反省しないという傾向がある。このような人間は一生うだつのあがらない哀れな、虐げられた生涯を送ってしまうことになる。
二度と生まれ変わることのできない人生を活きているこの刹那刹那は、自分というものがいつも、自分の人生の完全な主人公でなければならない。それには心が積極的でなければいけないが、そうなり得ると、運命や境遇以上の力が出てくるのである。
言葉と人生
何でもないと、自分が思っていて、それが直接的には自分の心の態度を、そして結果において自分の人生や生命に大きな影響を与えるものとは、それはいったい何であろう…。
それは日常便利に使ってる『言葉』というものである。
いやしくも人を傷つける言葉、勇気を挫くような言葉、人を失望させるような言葉、憎しみ、悲しみ、妬みの言葉を遠慮なく言っている人間は、悪魔の加勢をしているようなものだ!
一日の人生を活きるときに、お互いの気持ちに勇気をつける言葉、喜びをわかち合う言葉、聞いても何となく嬉しい言葉をいい合おうではないか。
人間は絶えず何事かを心で思っている。そしてその思考が一方において行動となって現われ、一方において言葉となって現われる。これが、人間のみが与えられた恩恵であり、他の動物にはないのである。
大いなる悟り
人の心というものが、この世の何ものにも比べることが出来ない大きなものであるということを正しく悟ることしよう。
外観上では、いかに人間よりも遥かに大きいと思われる太陽にも、月にも、星にも、こうした心というものはない。しかし人の心には、こうした不思議な働きが、与えられているというのは、そもそもどういうわけなのであろう。
ありがたくも、尊い、こうした偉大なものを頂戴していながら、それをわからずに、かえってその心を粗末にして、自分の健康や運命を悪くしている馬鹿者が、いくらも世の中にいやしないか。
自分を貧弱な哀れな人間と思う考え方ほど、およそ値打ちがなく意味のない人生はないのだ。
健康が悪くなるのも、運命が悪くなるのも、もとは自分にあるのだ。
天に向って唾をしたのが降りかかってきたのだ。
人生と運命
多くの人々が、とかく、誤解に陥りやすい、運命というものに対する正しい悟りを開こう。
運命には二種類ある。すなわち天命と宿命である。天命は絶対で、宿命は相対的なものである。
宿命というのは、人間の力で打ち開いて行くことが出来るものである。
ところが人は、打ち開くことの出来る宿命にぶつかったときでも、それを天命という。自分の努力が足らないことを棚に上げ、どうにも仕様がない、というのである。
それは人間だから、悲しいことも、憂いときも、苦しいときもある。それを感じるなといっているのではないのだ。
一生は、何百年生きたとしても、二度とは来ない。
そう思ったならば、せめて生きている間だけは、どんなことがあっても、ニコニコ笑って行こうではないか。つらいこととか、悲しいこととか、苦しいこととかいうのは、自分の心で決める評価なんだから。
人間の生命の本来の面目
いくつになっても、いかなる場合も、自己向上を怠らないようにすること、これが自分の生命の本来の理想的な活き方なのだ。
そういう気持ちを持っていると、いつまで年老いても、極めて壮健で元気よく、人並み以上の若さと溌剌さに満たされ、その生命というものは、活躍してくれるのである。
どんな時代が来ようと、どんなに歳をとろうと、我々は進化向上の自然法則の中で活きている。特に、現在、病のある人、あるいは運命のよくない人も、決して、その病や、運命に、心をこだわらせないことだ。
こだわれば、こだわるほど、病も治りが遅いし、運命だって、挽回するときが遅いのだ。人間というものは、浮き沈み、波の高低のあるところに活きている。晴天の日もあれば、雨の日もあれば、風の日もある。そのたびに、自分の心を苦しめていたらどうなるか。病のときに、病にこだわれば、病に負けてしまう。
運命のよくないときに、運命にこだわれば、運命に負けてしまうではないか。
だから、病でも運命でも、消極的な気持ちにしないこと。そうするには、まず相手にしないようにすることが一番である。病は忘れることによって治る!
人生の羅針盤
お互いの心の中には、自分でも愛想が尽きるような、随分と悪い思想や、悪い観念が、蔓延っているということを否定できないだろう。またそういうものが、自分の心の中にないとしても、やたら悲しんだり、怒ったり、怖れたりという、ともすれば心の光を暗くするような消極的な観念が時として愛想が尽きるくらい発生する。
現在がどうもなければ、永久にどうもならない、と思うほど、極めて呑気という以上に緩んでいる気持ちを持っている。もしも金が出来て、地位が高くなったために、幸福になれて、病に罹らず、悪い運命にもならず、また死にもしないというなら、まことに結構ずくめであるが、いくら金が出来ようが、地位が高くなろうが、何がどうしようがそういかないのが人生である。
人生を完全に活きようとする人たちが、一番根本的で、大事な心をたのもしいほど絶対的にし積極的にするのには、どんなことが必要か。
ともすれば明るいはずの心に暗やみが差し、朗らかであるべきはずの心が朗らかでなく、生々とした勇ましさが、事あれば、すぐぺシャンとなり、自分ながら考えると口惜しいということが、たびたびありはしないか。
それというのも肝心要のものが抜けているのである。それはいったい、何か、というと、一言にして尽きる。
『信念』ということである。
颯爽溌剌たる人生を活きたかったら、動かざること山のごとき、断固とした信念を造っておかなければいけない。どんなに学問が出来ようが、どんなに金ができようが、信念がなければ、その人の人生は、哀れ、惨憺たるものになる。
自分自身で自分自身をよく考えてみよう。
我は信念があるのかないのか、弱いか強いか。信念というのは、頑張ることではない。煥発して来なければ駄目だ。自分の心の中から抉り出さなければ駄目だ。
信念の方は、出たくて出たくて、うずうずしているんだから。
まとめ
不快な感覚があっても、頭が痛いとか、腹が痛いとか、気が重いとか、脈が早いとか、あるいは熱があるとかというような場合があっても、それはそれとしてそれに取り合わないような心を、持っていなければいけない。
人間の思ったり、考えたりする思考が、良きにつれ、悪しきにつれ、深刻であればあるほど、その事柄を自分に引きつけるにふさわしい資格を、自分が作ってしまうのである。
心が積極的であれば、積極的なものを引きつけるし、心が消極的であれば、消極的なものを引きつける。
それにもかかわらず、環境をやたらに呪い、運命をやたらに悲観することのみを人生の毎日にしている人が多くはないか。そういう人間は、本当の幸福を感じることはできない。
だから、環境を呪い、運命を悲しむことは止めなさい。
生きていることを、ただありがたく感謝しなさい!
Emolument is not object to me. ”報酬は私の目的ではない”
最後まで読んでくれたあなたは明日からメジャーリーガーです!!
ありがとうございました。そして『明日』という日は、永久に来ません(笑)
明日になれば、今あなたが思っている明日は『今日』になるから…。
ではまた!!