こんにちは!!keeです。今回は、最近ハマっているYouTube『しおりのなんとなく日常』で紹介されていた谷川俊太郎さんの『幸せについて』を読了したので、忘れたくない優しい言葉たちをわたしの脳の第2領域にぶち込みたいと思います。
自分が不幸だと思っているヒトには言いたくないけど、俺、いま幸せなんだよね。歳とってカラダが重くなって、朝っぱらから昼寝したい気分だけど、ココロはなんか余分なものがなくなって、軽くなってる。軽いのは軽薄とは違うよ。快活っていうのが近いかな、青空みたいなココロ、でも少しは雲もある。
胸がいっぱいになって涙が滲んでくるような静かな幸せもあるし、人目を気にせず道で踊り出したくなる爆発的な幸せもある。後になって〈ああ、あの時幸せだったんだな〉って気づく幸せもあるよね。
長続きする幸せは平凡な幸せだ、言葉を代えるとドラマチックな幸せは長続きしないからこそ濃い。幸せが毎日の暮らしの低音部を担っていて、幸せだっていうことにも気づかないくらいの、BGMみたいな幸せが、一番確実な幸せかもしれない。
幸せは自己中です、幸せになる条件を分かち合うことができても、幸せそのものは人と分かち合うことができないから。幸せは自分ひとりのものだから、他人と比べることもできません。自分が幸せであるってことだけで、何も言わなくても他人を傷つけることだってあるんです。
幸せはお金で買えないというけど、お金で買える幸せもあるはず。幸せがお金で買えると思ったときは、ケチケチするな!自分の幸せだけじゃなく、見知らぬ他人の幸せでも。
不幸を避け続けてそれなりに幸せな人、幸福を追求するあまり不幸になってしまう人、どっちが幸せなんだろう。
目の前にいなくても、その人がいると思うだけで幸せになれる、そんな「その人」がいるのは幸せだ。
鍵をあける幸せがあれば、鍵をかける幸せもある。訳ありの部屋のドアの話ととってもいいし、自分のココロの話ととってもいいよ。
愛されているのは最高の幸せだけど、もしかすると愛されていなくても愛している幸せのほうが、もっとずっと深く長くヒトを支えるかもしれない。
紙幣を数えていると、金額によってヒトは幸せになることもあるし、不幸せになることもある。数によって決まる幸、不幸はなんだか根無し草みたいだな、花も咲かないし、実も実らない、幸せは量より質だから。
ときどき思う、死んでからヒトは、生きていたことが、生きているだけでどんなに幸せだったか悟るんじゃないかって。
大きな幸せより深い幸せ!
何かが始まる幸せ、何かが終わる幸せ。ヒトは毎日違う幸せをそれと気づかずに味わっている。
過去が気にならない、未来も気にならないで、『いま・ここ』に在る。
これがぼくが考える幸せの基本形です。
最後まで読んでいただきありがとうございました。