【7つの習慣】俺なりの第5の習慣『まず理解に徹し、そして理解される』




視力が落ちてきたので眼科に行ったとしよう。医者は、自分の眼鏡を外し、あなたに手渡してこう言う。「かけてごらんなさい。かれこれ10年もこの眼鏡をかけているが、本当にいい眼鏡ですよ。自宅に同じものがもう一つありますから、これはあなたに差し上げましょう」

あなたはその眼鏡をかけるが、ますます見えない。「だめです。全然見えません!」

「おかしいなぁ。私はその眼鏡でよく見えるのだから、もっと頑張ってごらんなさい」

「頑張ってますよ。でも何もかもぼやけて見えるんです」

「困った患者さんだ。前向きに考えてみなさい」

「前向きに考えても何も見えません」

「まったく何という人だ!私がこんなにもあなたの力になろうとしているのに」と医者はあなたを責める。

あなたは、もうこの医者に診てもらう気にはならないだろう。診断もせずに処方箋を出す医者など信頼できるわけがない。

ところが、私たちのコミュニケーションはどうだろうか。

診断もせずに処方箋を出すようなまねをどれだけしてしまっているのだろうか。

私たちはえてして、問題が起きると慌ててしまい、その場で何か良いアドバイスをしてすぐに解決しようとする。

しかし、その際私たちはしばしば診断するのを怠ってしまう。

まず問題をきちんと理解せずに解決しようとするのである。

こんにちは!keeです。私の人生のバイブル『7つの習慣』の第5の習慣『まず理解に徹し、そして理解される』です。これまでの4つの習慣についての記事まだ読んでいない方は、下のリンクから「飛べます!」ので、よろしくお願いします。

俺なりの第1の習慣『主体的である』

俺なりの第2の習慣『終わりを思い描くことから始める』

俺なりの第3の習慣『最優先事項を優先する』

俺なりの第4の習慣『Win-Winを考える』

人格とコミュニケーション

あなたが、配偶者、子ども、隣人、上司、同僚、友人、誰とでも他者とうまく付き合い、影響を与えたいと思うなら、まずその人を理解しなければならない。

しかし、それはテクニックだけでは絶対にできない。あなたがテクニックを使っていると感じたら、相手はあなたの二面性、操ろうとする気持ちをかぎとるだろう。何でそんなことするのだろう、動機は何だろうと詮索するだろう。

そして、あなたには心を開いて話をしないほうがいい、と身構えることになる。

相手に自分をわかってもらえるかどうかは、あなたの日頃の行い次第できまる。常日頃の行いは、あなたが本当はどのような人間なのか、つまりあなたの人格から自然と流れ出てくるものである。

他の人たちがあなたのことをこういう人間だと言っているとか、あなたが人にこう見られたいと思っているといったものでは決してない。

実際にあなたと接して相手がどう感じるか…

それがすべてである。

共感による傾聴

『まず理解に徹する』ためには、大きなパラダイムシフトが必要である。私たちはたいていまず自分を理解してもらおうとする。ほとんどの人は、相手の話を聴くときも、理解しようとして聴いているわけではない。次に自分が何を話そうか考えながら聞いている。話しているか、話す準備をしているか、そのどちらかなのである。

すべての物事を自分のパラダイムのフィルターに通し、自分のそれまでの経験、いわば自叙伝(自分の経験に照らし合わせ)を相手の経験に重ね合わせて理解したつもりになっている。自分が正しいのだと思い、自分の自叙伝を押しつけようとする。

人は誰でも、まず自分のことをわかってもらいたいと思っている。

四つの自叙伝的反応

私たちはえてして、自分の過去の経験、いわば『自叙伝』を相手の話に重ね合わせてしまうため、人の話を聞く際に次の四つの反応をしがちになる。

  • 評価する…同意するか、もしくは反対する
  • 探る…自分の視点から質問する
  • 助言する…自分の経験から助言する
  • 解釈する…自分の動機や行動を基にして相手の動機や行動を説明する

これら四つの反応は、自然に出てくるものである。ほとんどの人はこれらの反応にすっかり脚本づけされている。周りを見ても、実例だらけだ。しかし、こうした反応で相手を本当に理解できるだろうか。

子どもと話をするときに、まだ話し終わらないうちに子どもの話を評価しだしたら、心を開いて本当の気持ちを話そうとするだろうか。

言葉だけで人を理解しようとしてもうまくいくはずがない。自分の眼鏡を通して相手を見ているなら、なおさらである。何とか自分のことをわかってもらおうとしている人にとって、相手の自叙伝的な反応がどれだけコミュニケーションを妨げているだろうか。

相手と同じ視点に立って、相手が見ているのと同じ世界を見られるようになるには、人格を磨き、本当に理解したいという純粋な気持ちになり、相手との高い信頼残高、共感による傾聴のスキルを育てることが必要である。

四つの共感による傾聴のスキル

  • 第一段階…相手の言葉をそのまま繰り返す。
  • 第二段階…相手の言葉を自分の言葉に置き換える。
  • 第三段階…相手の気持ちを言葉にする。
  • 第四段階…相手の言葉を自分の言葉に置き換えると同時に、相手の気持ちを言葉にする。

共感して聴くスキルの第四段階まで身につければ、信じられないような効果がある。人が本当に傷つき、深い痛みを抱えているとき、心から理解したいという純粋な気持ちで話を聴いてあげれば、驚くほどすぐに相手は心を開く。その人だって胸の中にあることを話したいのである。

とりわけ子どもは、心を開いて自分の思いを打ち明けたい気持ちでいっぱいなのだ。そしてその切実な思いは、友達よりも、実は親に対して向けられている。親は自分を無条件に愛している、悩みを打ち明けたら必ず味方になってくれる、自分の悩みを馬鹿にしたり、批判したりしない。

そう確信することができれば、子どもは親に何でも包み隠さず話すものだ。

理解ととらえ方

人の話を深く聴けるようになると、とらえ方は人によって大きく異なることがわかってくる。

そしてその違いこそが、相互依存の状態において他者と力を合わせて何かをするときにポジティブな効果を与えることもわかってくる。

同じ1枚の絵が、あなたには若い女性に見える。私には老婆に見える。その両方が正しい、そう思えるようになる。

それがWin-Winに至るプロセスの第一歩である。たとえ相手がWin-Winのパラダイムを持っていなくとも、むしろそのような相手であればこそ、こちらがまず相手を理解する努力をすることが大切なのである。

そして理解される

今度誰かと話をするとき、自分の自叙伝を持ち出すのはやめて、その人を本気で理解する努力をしてみてほしい。その人が心を開いて悩みを打ち明けてくれなかったとしても、その人の身になり、共感することはできるはずだ。

その人の気持ちを察し、心の痛みを感じとって『今日、元気がないね』と言ってあげる。

その人は何も言わないかもしれない。でもそれでいい。

あなたのほうから、その人を理解しようとし、その人を思いやる気持ちを表したのだから。

愛する人たちを深く理解するために投資した時間は、開かれた心と心のコミュニケーションという大きな配当になって返ってくる。

家庭生活や結婚生活に影を落とす問題の多くは、深刻な問題に発展する前に解決できるものである。家庭の中に何でも話し合えるオープンな雰囲気があれば、問題になりそうな芽はすぐに摘み取れる。たとえ大きな問題が持ち上がっても、家族同士の信頼口座の残高がたっぷりあれば、対処できるのである。

まず理解に徹する。問題が起こる前に、評価したり処方したりする前に、自分の考えを主張する前に、まず理解しようと努力する。それは、人と人とが力を合わせる相互依存に必要不可欠な習慣である。

お互いに本当に深く理解し合えたとき、創造的な解決策、第3の案に通じる扉が開かれる。

私たちの相違点が、コミュニケーションや進歩を妨げることはなくなる。それどころか、違いが踏み台となり、シナジーを創り出すことができるのである。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

次回は、俺なりの第6の習慣『シナジーを創り出す』でお会いしましょう。

では、また!!




ABOUT US
kee
サブ4ランナー!!! ファイナンシャルプランナー&JADPメンタル心理カウンセラー&上級心理カウンセラー! 普段は食品工場で仕事をしています。ランニング大好き、料理大好き、サッカー大好き、キャンプ大好き、お酒大好き、釣り大好き、激辛大好き、読書大好き、書ききれないほどの大好きに囲まれて毎日幸せを実感しています。夢はホノルルマラソンに出ること。 座右の銘『明日死ぬかのように生きよ、永遠に生きるかのように学べ』 このブログは忘れやすい私の備忘録、私の脳の第2領域です。